くらべ馬 くらべ馬といっても現代の競馬と違い、2頭のマッチレースで勝敗を争います。
 “くらべ馬”は“きそい馬”“こまくらべ”とも呼ばれ、その昔、端午の節句に天下泰平・五穀豊穣を祈願して宮中で開催されていたものです。
 上賀茂神社でくらべ馬が行われるようになったのは、平安時代の1093年のこと。
 以来、その様式を今日まで受け継いでいます。 上賀茂神社の正式な名称は、賀茂別雷(わけいかづち)神社といい、いまからおよそ1300年前の白鳳時代に社殿が作られたと言われています。
上賀茂神社楼門重要文化財に指定された建造物が多く、本殿と権殿(ごんでん)は国宝に指定されています。
また、上賀茂神社は、1994年世界文化遺産に登録されました。
  “くらべ馬”の舞台はスタートからゴールまでのコースで距離は約200メートル。 コースわきの埒(らち)と呼ばれる柵には青柴が巻かれることから柴垣埒とも言われています。
埒外(らちがい)という言葉はこの柵のことからきているといわれます。
コースのわきには、様々な目印となる木が植えられています。
発走地点の目安となる馬出しの桜。
馬だしの桜の次にある、むち打ちの桜。乗尻(のりじり)と呼ばれる騎手は、ここより鞭を打ちます。 勝負の楓(かえで)
ゴールの目安となるのは『勝負の楓(かえで)』。この地点を通過する2頭の馬の差よって勝敗が決まります。
もともと、宮中の行事であったくらべ馬が上賀茂神社で行われるようになった時、その費用を負担するための領地として20カ所の荘園が寄進されたと伝えられています。現在でもこの荘園の名を馬の名前としています。

馬に乗る騎手は乗尻と呼ばれ、代々、上賀茂神社の社家(神主など神職の家)の人たちが担ってきました。
賀茂くらべ馬は、かつては20頭による10番勝負で競い合っていましたが、近年は10頭、5番立ての勝負となっています。
乗尻たちはスピードを競い合うだけでなく様々な作法や、乗馬技術などを修得しなければなりません。

5月1日には、足汰式(あしぞろえしき)がとり行われます。足汰式とは、馬や乗尻の力量を見定め、番立(ばんだて)と呼ばれる組み合わせや出走の順番を決める儀式のことです。
馬を走らせる前に、埒の中をゆっくり歩かせます。 これは、九折南下(きゅうせつなんか)といわれる作法で、馬に馬場を見せ慣れさせながら歩かせるのです。

練習風景いよいよ馬を走らせます。
定められた荘園の順に従って、まず、倭文庄(しどりのしょう)から始めます。
1頭ずつ走らせて、乗尻の技量、馬の能力を見定め、番立を決めていくのです。
馬を査定し、番立を決めるのは所司代を始めとした役職の人たちです。
番立を聞いた乗尻たちは再び馬に乗り、二頭で試し駆けを行います。
くらべ馬では、神殿から見て左側を走るのが左方、右側を走るのが右方として、乗尻と馬は左右2組に分かれて、団体戦で勝敗を争います。
一番のつがい=組み合わせは、慣例により第1の荘園である「倭文庄」と第2の荘園である「金津庄」(かなつのしょう)と定められています。
この勝負は左方一番の「倭文庄」の勝ちがあらかじめ決められていて、負けの決まっている「金津庄」は後を追うようにして走ります。
二番以降は、2頭で本当に競い合い走ります。 試し駆けをすることによって、乗尻は馬の性格を理解し、馬を馬場に慣れさせるのです。

古い歴史を持つ賀茂くらべ馬は絵画を始め、多くの記録に残されています 古式競馬では妨害行為が認められていました。
幕末期に描かれた吉江文雄(よしえぶんゆう)による賀茂くらべ馬図では、くらべ馬を主題にしながらも、庶民がくらべ馬を楽しみにしていた様子が描かれています。
鎌倉時代の随筆、徒然草の一節には、兼好法師がくらべ馬の見物に行ったこと が記されています。 乗尻の装束

5月5日がやってきました。乗尻たちが伝統的な装束に着替えます。くらべ馬が、かつて宮中で開催されていた時と同じ、舞楽の装束です。
左方は赤系統のもので、これは打毬楽(たぎゅうらく)という舞の装束です。
右方は黒系統。狛桙(こまぼこ)の装束です。
馬も馬装を施されます。
鞍は、日本伝統の和鞍(わぐら)を使います。
馬装は左方、右方で異なるということはありません。ただ一頭の馬だけがほかの馬と異なります。第一の荘園「倭文庄」です。
倭文庄の馬装は一段と華やかなものです。

くらべ馬を神様にご覧頂くため、本殿から馬場に設けられた仮宮、頓宮(とんぐう)へ御分霊をお迎えします。
くらべ馬に先立ち、菖蒲の根合の儀がとり行われます。
第一の番(つがい)が、厄除けの御利益があるとされている菖蒲で頓宮の屋根を清めます。

これは、かつて宮中で行われていたくらべ馬をほかへ移す際、宮中の女房などが菖蒲の根あわせをして競い、左方が勝利をおさめたことにより、上賀茂神社にくらべ馬が奉納されたことが起源であると言われています。
九折南下
足洗の儀 くらべ馬本番を前に、境内を流れる“ならの小川”の水で馬の足を清めます。
乗尻たちは各自、自己祓(じこばらい)を行います。
盃がまわされ、戦いの膳が供されます。

一番のつがい、倭文庄と金津庄の入場です。
乗尻は、馬場の中央あたりまでゆっくりと馬を進め、七回半往復する、三遅、 巴、小振の儀を行います。これは乗尻が馬の性質を見極め、馬を馬場に馴れさせるために行う儀式です。
かつて、くらべ馬には、荘園から送られてきた調教されていない馬が使われていました。性格の全くわからない馬を初めて使うため、乗尻には独特の馬術、調教方法が伝えられ“賀茂悪馬流(かもあくばりゅう)”と呼ばれたといいます。

一番の番は、くらべ馬の故事により、左方が必勝とされています。 走り終えた倭文庄は金津庄を挑発するように埒から顔を覗かせます。 対する金津庄は鬼気迫る勢いで、鞭を前に差しだしながら追い上げます。 二番からは二頭同時に走る真剣勝負。
念人幄先の勝負で勝った組の馬が先馬、負けた組の馬が追馬となり、一馬身ほど離れ てスタートします。
乗尻同士の顔を合わせる、冠(かんむり)合わせがスタートの合図。
しかし、そう簡単には合わせません。勝負の駆け引きはここから始まっているのです。
くらべ馬風景勝負の楓を過ぎた時点で、先馬を追い抜くか、一馬身の差が縮まれば追馬の勝ち、差が開けば先馬の勝ちとなります。

左方が勝つと赤の扇、右方勝利の時は青の扇、同着の時は両方の扇を挙げます。勝者は念人(ねんじん)の前に進みます。
そして禄(ろく)と呼ばれる白い布を授かります。 その後、頓宮へ参り、勝利のお礼をします。 5番の勝負が終わると頓宮に奉られた桙(ほこ)が伏せられ、神様がお帰りになりくらべ馬の行事も終了します。