渡辺尚志著「江戸・明治 百姓たちの山争い裁判」で取り上げるのは、主として江戸末期の農村と明治維新後の山の所有権や利用権の争いを記録に基づいて解説したものです。土地争いの資料は多く残されていることが多いそうですが、それだけ重大な問題ととらえられていた証拠なのではないでしょうか。我が国の国土の約70%は山林といわれていますが、この山林を守ってきたのは誰なのか。江戸時代までは、じつは、大部分の林地は集落ごとの共有地となっており、山林はこの時代の農業にとって命綱とまで言えるほどの大事な存在でした。食料の供給はもちろんのこと、田畑の肥料の確保、燃料、建材など、山なくして村々の生活は成り立たなかったということです。これはもちろん、そこを支配した武士階級(大名・領主や大きく言えば幕府も)にもいえることです。
 江戸期になると大名たちにとって隣国との土地争いはご法度であり、江戸で行われた境界争い等の幕府への訴えなどでは農民が主役であり、裁判中は江戸での滞在を藩邸で受け入れるなどの支援を通じて、陰日向になって農民を支援するということもあったようです。もちろん領地内の争いごとは藩の中で処理され、村役たちの訴えは現在の会社や役所で行われている稟議書を通じてできるだけ領主までにいかないうちに解決を図ることも行われていました。争いごとは波風をたてないうちに解決する努力がされていたようです。ただ、こじれた場合には「鉄火裁判」や「熱湯裁判」という、火傷の程度で決着をつけるという過激なことも行われたといいます。
 まず、序章、第1章では室町時代から明治時代までの、当時の農業にとっての林野の果たしていた役割について触れ、第2章、3章は全国に特徴的な山争いに題材をもとめ、信濃国、出羽国での山争いをかなり詳しく解説します。訴状等も口語訳されており、非常に読み易いように工夫されています。土地争いで命を落とした事例とか、逆に大きな功績から村人が顕彰碑や銅像、中には神様になって神社が作られたこともあったといいます。4章は明治時代になってからの訴訟で、日本が近代国家の体裁を整えてからの裁判ということになりますが、廃藩置県から、官民有区分、地租改正などの大きな変革を遂げ、山の裁判もほぼ現代に通じるものになっていきます。3章で取り上げられた出羽国の事例が使われていますので、その変化がわかりやすいかもしれません。終章はまとめとして、山争いは所有権を争うという個人での土地の「囲い込み」ということではなくて、むしろ村や集落単位での利用権を争ったという側面が非常に強く、現代風に言えば、そのために利用権がそがれるということはその地域での生存権そのものに関係すると捉えられてきたのではないかといいます。それが明治時代になって大展開するわけで、当時の戸惑いがわかるような気がします。

渡辺尚志著「江戸・明治 百姓たちの山争い裁判」(株)草思社刊 
  A5版 264頁 定価1800円
    ご一読をお勧めします。